毎月2回程、大阪市からの公務に自転車で公務場所まで通っている。ハルカスを見上げつつ、アポロビル、市大病院と西成方面を下り、太子の交差点を左折したところに公務を行う場合もあれば、直進して新今宮のガードを越えてニトリ西成店の方面まで行くこともある。かれこれ30数年前、研修医や大学院生の頃はこの道を毎週のように新今宮駅まで歩いた思いで深い道である。南海高野線の堺東駅から徒歩5分ほどにある精神科病院の当直勤務に行くためにである。当時はバブル経済真っ只中。大阪万博程ではなかったであろうが、日雇い労働者が多く、あいりん地区特有の雰囲気があった。活気もあったがごみごみとしてアルコール臭や時には尿臭も漂っており、決して衛生的とは言えない。酔っ払いや浮浪者と思しき輩もウロウロしており、男の私も薄暮にこの道を歩くときは何となく恐怖感を抱きつつ足早に駅に向かった記憶がある。そしてその時から30数年の時が経過。街の様相は一変している。建物などの街並みだけでなく、行きかう人は日がな一日を過ごしているご老人、道路清掃する黄色い反射板を身につけた臨時日雇いのおじさん達、そしてあとはキャリー付き旅行カバンを引きずり、旅行ガイド本を見ながら歩いている外国人観光客が大半を占め、通りに面した看板には素泊まり1500円~のホテルが何件も軒を連ねている。かつての日雇い労働者の簡易宿泊先、ドヤと言われたところ、生活の場であったところが様変わりしている。街並みの30数年もの時の流れで変貌していく様と若かりし20歳代の自分と還暦を過ぎた今の自分に変貌している様とが何か二重写しに感じられる。なんと表現して良いのか言葉が見つからない。この道のりを通る度にタイムスリップするような妙な気持ちと表現できるのかもしれない。今年は2月8日から春節・・・さぞかし旅行カバンを引きずる人がいつも以上に増えることだろう。