逮捕後10日が経過しても清原容疑者の報道は続いている。その影響もあってかこれまで覚醒剤依存症の治療を手掛けてきた中で印象深い2例のケースが厭が上でも想起される。1例は保健所からの相談案件で、暴力団組長の妻のケースである。当時は精神科医になって数年から5年までで未熟な精神科医であったことは間違いない。大学病院に入院治療となり、疾病教育として覚醒剤の怖さを切々と訴え、諭した。分かってくれたはず!もうこの人は大丈夫だ!閉鎖病棟での闘病に頑張った!と勝手に思い込んで、今だから言えるが、本人の希望で外出届の下で大学病院近くの喫茶店でフルーツパフェをご馳走した。後にも先にも入院中の患者さんに食べ物を奢るのはこの人だけであった。退院後の受診も程なくして途絶え、その内にその人の記憶も日々の多忙な業務の中で埋没していった。そして数年が経過したある時、大学病院に電話があった。「せんせ!元気?わたし今 小樽刑務所・・・」と覚醒剤の再犯でのお勤め・・・愕然とした。2例目はある精神科病院の看護職にある人が覚醒剤依存症となり、大学病院に入院、主治医となった。1例目よりは精神科医として一人前になっていたはずの頃である。同様に切々と訴えた。覚醒剤の怖さを・・・好感度の高い人であった。そして退院し無事別の病院に就職して真面目に通院が続いていた。半年が過ぎた頃だろうかピタッと来なくなった。心配となって勤務先の病院に電話したら、担当病棟の婦長から以下のような内容を聞かされた。「日勤の申し送りに来ないから寮に訪ねて行ったら・・・座った姿勢で亡くなっていた。傍らに注射器が落ちていた」と。茫然自失とはこの時の事であろう。この経験からの教訓として思ったことは、精神科医とは言え1週間~2週間の通院治療で何ができるのか?再使用の歯止めにどれだけ関与、寄与出来るのか?答えはほとんど何も出来ない、無力とも言える。と言うことが痛感され、退院後の適切な指導がなされなかったことが悔まれた。覚醒剤依存症は一生治らない。病気と向き合い、薬物への強烈な渇望感と戦うには一人では到底無理である。そこで薬物脱却にはDARC(drug addiction rehabilitation center)の存在は欠かすことが出来ない。DARCの詳細は割愛するが、当時は現在ほどDARCの存在は周知されていなかったと言い訳させていただく。今も現在進行形で覚醒剤を使用している患者さんがいる。月に1回、ほぼ来院の度にその方は言う。「せんせ 人に覚醒剤を止めろ!と仰るなら一度どんなもんか使用してから言うてくださいよ。ほらこの携帯電話にかければ宅配してくますから・・・」なかなか手強いパニック障害のご婦人である。覚醒剤の胴元は1gを1,000円で仕入れて、末端価格が50,000~70,000円になると言う。ぼろい儲けであり、供給者を根絶しない限り根本的な解決の方法は難しいのではないかと思うと同時にそんなことは不可能ではないかと思ってしまう。誠に残念ではあるが・・・